当時、歴史は僕にとっては一つの”情報”であり、それを知ることが自分の世界観や思想の形成にどう関連づけられるかということが、ほとんど見えていなかったと思う。暗記だけは得意で、100点取ったりもしていたが、自分の中での知識としては死んでいるも同然だった。
歴史が真に意味のある言葉として僕に語りかけてくるようになったのは、ごく最近のことだ。
人は”今”を無限に生きていくしかない。そのため、自分が考えたり実行したりすることの意味は、常に過去を振り返る形でしか認識ができない。つまり、”今”実行することが将来にどのような意味を与えることになるのかを、”今”把握することは不可能ということになる。
人は常にぶっつけ本番で考え、判断をし、実行していかなければならない。そこに人生の難しさがあると思う。
”今”の行動の指針になるのは、自分の過去の経験と他人の経験しかない。自分の経験は常に限定的であることを考えると、あとは他人の経験ということになる。それをひっくるめたのが歴史ということになるのではないか?
歴史といっても、単にポイントについての知識として捉えるだけでは、ほとんど役にたたないと思う。重要なのは過程・連続性であり、ある時、ある人物の行動がどういう経緯をたどって、どういう結果につながったかという流れをトータルでつかむことだ。その流れを真に理解することによって、その人物の経験を自分に取り入れることができる。
身近な歴史としては、人の話を聞くことで直接その人の経験を得ることができる。しかし、過去の人物の経験を得るためには、書籍を読むのが最も代表的な方法だ。過去の人物の経験の方が、年月を経て批評に晒されている分、ある程度普遍化されていると言える。
「歴史は繰り返す」という言葉はよく聞くが、非常に的を得た言葉だと思う。人間世界での現象を引き起こすのはやはり人間であり、人間の行動パターンというのは、それほど多くは無いように思える。
支配者と被支配者、富豪と貧民、知識人と愚民、経営者と被雇用者、攘夷派と開国派、右翼と左翼・・・
このような対立関係の中で、例えば支配者の力が強まれば被支配者の不満が高まる。富豪の力が強ければ貧民の不満が高まる。こうして、バランスが崩れる時には、革命などが幾度となく起こってきた。
現在の日本は、経済が困窮し、政治に対する不信感が高まり、国民の不満が高まっている。エネルギー・食料・国防・資源の大部分を海外に依存し、一方で少子高齢化の進行に伴ない、労働力の減少と医療負担の増加が見込まれている。
バランスが明らかに崩れてきている。それは、国内に留まらず国際的にも言えることだ。
世界人口の増加、食料・エネルギー需要の逼迫、パワーバランスの変化、経済システムの変化、情報化、・・・
このような変動の中で、日本では政治的にも経済的にも活路を”外”に見出す動きが強まっている。しかし、長期的な視野を持って望まないと、”日本”という国家そのものの質的な低下につながる危険性も高い。
今、謙虚な姿勢を持って、歴史に学ぶところは非常に多いのではないだろうか。
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