2010年9月3日金曜日

自転車

5月の終わりに、風邪を拗らせて気管支炎になって会社を3日ばかり休んだ。
喉と肺が焼けるように痛かったせいもあり、それを機に何となくタバコを吸うのが
バカらしくなり今に至っている。
同時期に運動不足が気になり、池袋で自転車を買った。

一時は本格的なロードバイクにしようかと迷っていたが、色々調べた挙句、
Giant Escape R3.1といういたって無難なクロスバイクを買った。
(これです→http://www.giant.co.jp/giant10/bike_datail.php?p_id=L0000063&action=outline)
色は迷ったが飽きないかなと思いグレーにした。
本当は買ったその足で、乗って帰りたかったのだが、サイズ的に注文になる
とのことで、受け取りは2週間後だった。

初乗りの感想としては「軽い」、「硬い」、「ケツが痛い」。
お尻の痛みは徐々に慣れてきたため、今はすこぶる快適である。
自転車屋の店員さんに教わったとおり、律儀に2週間に一回メータを見ながら
空気を入れたり、磨いたりしてをしてかわいがっている。

あれほど苦痛だった通勤(電車で3駅だが、、、)も、自転車通勤に切り替えて
から結構楽んでいる。Door To Doorで自転車だと飛ばせば6分くらいだし、
適当に寄り道して細い路地に入っていったりと、発見も多く新鮮だ。
以来、余程のことがない限りはクライアント先に行くときもすべて自転車で、
電車には乗らないようにしている。

休日も自宅から10km圏内は車よりも自転車で出かけることの方が、
出動回数が圧倒的に多くなった。
経済面で言うと通勤費と吸わなかったタバコ代を合算で、3月程度で自転車の元が
取れた計算になり、家計にも優しい。

禁煙と自転車で何かが劇的に変わったかと言われれば、「たいして変化なし」と
答えるしかないが、自転車はすごく楽しい。
いつでも自転車で移動していた、幼い頃の感覚を思い出した。
立ち漕ぎなんかして当時に戻ったようで、童心に帰っている自分に気づく。

再開

今年に入ってから、公私ともに多忙でしばらくこのblogを休んでいた。
この1年で4回目となる引越が一段落したのが、4月末。

新居は築50年を軽く超える木造平屋建ての60平米弱の旧居である。
外見はぼろいが内装は私見ではあるがまあそこそこ綺麗。
もともと二軒長屋を無理やり一軒にした物件なので、
玄関を入ると左右で全く別の雰囲気の内装になっている。

今回の新居探しで、ネットを中心に1ヶ月かけて25件ほど候補を絞り、
5件ほどの不動産屋に連絡を取り、10軒程度内見したなかで、
相場よりもかなり割安な家賃ということもありすぐに決めた。

当初は部屋中を埋め尽くしていた本やら衣類やらのダンボールの山を整理して、
ようやく人間らしい生活が送れるようになったのはその1月後のことだ。

その頃にはこのブログの存在すら忘れていた。
生活も落ち着いたことだし、以前よりもペースを上げて投稿しようと思う。

自分自身のログ的な位置づけにこのブログを使うことにする。


まあどうせ誰も見ていないとは思うが、これも自己訓練の一環だ。

2010年3月3日水曜日

最近の思想の変遷

今年に入ってからしばらく、佐藤優さんをきっかけとして、キリスト教の世界観や神学などについていろいろと本を読んでいた。聖書のこともホントに触りしか知らなかったけど、確かに読みつがれてきているだけあって、人間についての深い内容を扱っているものだと感じた。特に旧約聖書の方は。

でも、何かしら違和感というか、やっぱり僕にとって心底入り込めない要素は感じる。

正直にいって、僕がクリスチャンになることはまずあり得ないだろうと思う。

その反動で、キリスト教のことをクソミソに批判しているニーチェについて読んでみると、これがことの他面白く感じる。「善悪の彼岸」や「道徳の系譜学」や「アンチクライスト」など、徹底的にキリスト教を邪教扱いしている。

僕はニーチェも極端だとは思うし、彼自身がルサンチマンに当てはまると言えるところもある気もする。でも彼の感覚にも理解できる部分は多い。

ニーチェは、新約聖書は触りたくもないと言っている。それは徹底して弱者の立場から書かれたものであり、また弱者を弱者のままにしつつ、それを利用しているような面があるとしている。

ここには僕が感じた違和感にも通じるところがある。

例えばカトリックなんかは、名前からして「普遍」を名乗り、教会に対する信仰を最重視している。とにかく信じればいいというわけだ。その報いはというと、「最後の審判」で天国に行けることだという。そのために、人間に知性というものを認めていないし、現世を否定しているとさえいえる。

もう一つニーチェに同意するのは、彼は「イエス」については否定していないところだ。「イエス」は賢さは中の上くらいとされているが時代を見る力があり、自分の思想を信じ、人々に説いていった。でも、彼はキリスト教を広めているつもりはまったくなかった。彼はむしろ自立的であり、権威のようなものには疑いの目を向けるタイプの人間だった。

ニーチェは「現実」、「現世」、そして「強さ」を重視した。人間が罪深く穢れた存在であるから、「最後の審判」で天国に行くために去勢して生きろというようなキリスト教の世界観には相容れないのはよく分かる。

ニーチェから連想されるのが、不思議と仏教だった。

本来の原始仏教は、宗教というよりも生き方や人生哲学だと思う。ブッダにしても、悟りの状態を輪廻から逃れ二度と生を受けないことという風に捕らえていて、ちょっと違和感はある。涅槃の境地に行くためには、あらゆる執着を捨てろと言っている。執着するから苦しみがあるというわけだ。

でも、「現実」に対しては非常に前向きであり、能動的だ。人間はひたすら学び続けなければいけないし、自己を戒め続けなければならないと言っている。己に対して、厳しい規律を課している。このあたりには、「超人」をうたったニーチェにも通じるところはある気がする。ニーチェは仏教を学んでいたのかな?

仏教から今度は神道に向かってきている。

日本の持つ精神的バックグラウンドや支柱を知りたいし、そのためには神道と仏教は欠かせない。日本人に精神的な軸が欠けているというのは強く感じるし、そこにもう一度目を向けてもいい時期には来ている気がする。

今後「農村」のことを研究していくわけだけど、研究と同時に、そこにこのような思想的要素を探してみたいという気持ちも少しある。

今月中くらいで、仏教や神道関連と、あとニーチェとも関連するけど、人間がいかに社会によって束縛された存在になったかを書いたルソーあたりも読んでみたい。

2010年2月6日土曜日

40年周期

歴史関係の本を何冊か読んでいるうち、半藤一利の「幕末史」「昭和史 1926-1945」の中で面白い考え方があった。それは、日本が近代化に向けて動き出した明治維新あたりから、大体40年という周期で大きな変動を繰り返しているという説だ。

ちなみに、半藤一利さんの歴史観は僕の持っていた歴史観とは大分異なる。

「幕末史」については、半藤さんは倒幕から戊辰戦争までは、もはや大政奉還と開国に向けて幕府の方針も明らかになっているにも関わらず、薩長が権力目当てで起こしたクーデターだと語る。歴史には様々な見方があり、あくまで自説だと断ってはいるが、僕は聞いたことのない説だった。確かに明治維新以降、薩長が政府の要職を占めているところからすると、そういう面もあるのかもしれない。

「昭和史」については、言うならば「ごく一般的な」歴史認識に近い。陸軍が暴走した、海軍も追随した、政府が無能だった、天皇は無力化していた、国民は熱狂していた、マスコミは煽りに煽った・・・という感じだ。総じて、「アホなことをした」という立場だった。

でも、ソ連(共産圏)の南下が怖かったとか、英米が次々と東アジアに進出しているという状況からやむをえないということは押さえてある。爆弾が降ってきたり、言論統制されたり、徴兵されたり、食べ物もなかったりというようなことを実際に味わった人にとっては、やはりなかなか肯定できないのは仕方がないのかもしれない。

40年という周期についてはなるほどと思った。

①1865-1905・・・明治維新のころから日露戦争に勝つまで
②1905-1945・・・大国を自負し、戦争に明け暮れていき、敗戦に至るまで
③1952-1992・・・サンフランシスコ講和条約を経て主権を回復し、経済成長を続けてバブル崩壊に至るまで
④1992-2032?・・・バブル崩壊から失われた?年の過程

確かに、日本は40年かけて頂上まで登りきっては、また40年かけてそれをぶっ壊しているという波にぴったりとあてはまる。

ということは、今は下りのターンでこれがまだ20年くらい続くのかな?

前回の下りターンに当てはめると1925年くらいだから昭和元年、まさに戦争に突っ込んでいくところか。やれやれ。。。しかも世界的にパワーバランスが大きく変化して、日本は資源がないというような状況も似ていないこともない。しかも僕の世代は、下りターンをほとんどフルに通ることになる。やれやれ。。。

景気変動も大きな波とその中に小さな波が繰り返していると言われているし、こういう循環というのは結構パワーのあるものなのかもしれない。そこに今の時代の変化スピードがどのくらい影響を及ぼすのだろうか。

こういう中でどう生きるのかはなかなか難しい。

まず、シビアに状況や流れを認識する必要はある。その流れの中で自分が何ができるかを考えていく以外どうしようもない。

心底ひどい状況になって初めて真剣に考え始めるのが人間だとすれば、成長の機会だともいえる。


2010年1月23日土曜日

創造のための出力

出力の重要性は、昨年度、最も身にしみて感じたことの一つだ。

僕の考えている研究テーマは、「農村地域における知識の移転や創造をIT技術により支える手法を確立し、地域の計画作りに役立てる」というような主旨のものだ。これは、少子高齢化により、先人の知恵が失われつつある状況に対する危機感に由来する。特に農村地域ではそれが顕著である。

農村地域では、作物栽培や地域資源管理、意思決定、祭祀などの多くの面で、様々な知恵やノウハウが駆使されている。しかし今、都市部に先駆けて進行している高齢化により、それらの”知”の消失が進行しつつある。これは今後10年もすれば、かなり危機的な状態になると思われる。

もちろん、すべての知恵が次世代にとって有効だとは言いきれない。例えば企業組織内では、最近の環境の変化スピードは激しいし、少し前の知識が今は役に立たなくなるということも多々あると思う。しかし農村地域は、我が国の農業という、食料生産を支えている地域であり、その衰退は今後の世界情勢の中で致命的になりかねない。

日本人は、創世神話の世界で、国の大地や自然とともに生まれたとされている。自然と一体化して行う農業は、長い間、最も基本的な産業だった。その国土との結びつきが失われていることが、今の日本の停滞や精神の荒廃を招いているのかもしれない。国土や自然との一体感を日本人にとっての一つの精神的なベースとするべきだと、”国体の本義”でも書かれている。

さて、僕は自分自身、出力が欠けているということに昨年度を通じて気づいたわけだが、特に自分にとって根本的かつ主体的な、”自分自身の”言葉の出力が問題だと考えている。仕事などでやらざるを得ない出力は、それ相応には行っている。

知識を積極的に入力し、それを自分なりの思想なり世界観なりにまとめるという作業は、自分の内部ではむしろ行っている。しかし、それを出力してこなかったのはなぜなのか?その原因の一つは、自分の知識を投げ込むための”場”というものを持たなかったことにあるのではないかと思う。僕は昨年度までの2年半、関係よりも自己を重視する環境に身を置いていた。

研究テーマを掘り進むにあたって、野中郁次郎氏が唱えた”知識創造理論”をベースに、知識とはどういうものなのか?どのように獲得され、進歩していくのか?について考えている。そのために改めて振り返っているのが哲学だ。

哲学者達は、世界の本質や自分の認識について、さまざまな角度から考察を続けてきた。今哲学の歴史を振り返ってみると、ギリシャ哲学などでよく言われた、世界の”本質”がなんであるか?とか、主観と客観が一致するかどうか?などという問いは、正直自分にとってはどうでもよい話だ。むしろ、世界には本質や超越的・絶対的なものなどなく、個々の人間の認識によって作り上げられたものだというような、ニーチェやフッサールの方に同意する。

これだけだと独断的な感じになってしまうのだが、個々人の認識を、ある”場”を通じてぶつけ合い、その中で共有され、浮かび上がってくるものに、知識の進歩や真理に近いものが出てくるという考え方が、”知識創造理論”の元になっていると思う。

このあたりのことを考えているうちに、出力により目指すものは2つに分けられると思えてきた。

一つは、入力し、蓄積したものを自分の言葉で構成し、発するという自己表現的なもの。そしてもう一つは、ある”場”を他者と共有し、個々人がそれぞれの出力を行い、ぶつけ合うことで、自分の持っている知識に客観性や評価を与え、それを通じて知識をブラッシュアップするというものだ。

後者は非常に重要であると思う。例えば、僕は昨年度までは、ほとんど自分の自由意志で、学ぶべきものを選択し、入力を行ってきた。しかし、正直に言って、何か物足りないものを感じるようになったのも確かだ。知識が自分の中に血肉として格納されているという確信が持てなかったのだ。

それは、知識を吐き出して共有しながらブラッシュアップする”場”が、相当に限定されていたことが原因なのではないか?

自分にとって今後積極的に意識すべきことは、このような”場”を持つことだと感じている。つまり、”創造のための出力”を積極的に行っていくことだ。それによって、自分の入力を確固たる知恵にしていけるのではないかと思う。

しかし、適切な”場”を持つというのは実はなかなか難しい。知識レベルや興味対象、興味範囲、そして知識の成長スピードなど、さまざまな要素がフィットする相手でなければ、うまく機能しないと思う。

本ブログはそういった一つの”場”だと考えている。こういった”場”をいくつ持てるかが、人間の成長を大きく左右すると思う。実はすごく貴重で、ありがたいことなのだ。

2010年1月20日水曜日

疑似科学とライアルワトソン

最近、疑似科学に対して警鐘を鳴らす書籍やWebサイトをよく見かける。
マイナスイオンや機能水、テレビのCMや番組を賑わせているトクホ(特定保健食品)など、
思いのほか疑似科学と分類されるものが身近にあることに驚く。

いつの時代にも巧みな口上で人を引きつけ、お金を儲ける商売というのはある。

疑似科学に警鐘を鳴らす一部の科学者の論調は、人魂プラズマ説を唱える大槻教授のようで感心できないが、
こと現代人は科学的に証明されたものとして語られることに弱いのは事実だろう。

天地創造から様々な現象の論拠が「神」から「科学」にほぼ移行した現代であっても、
人はある種の奇跡なり、摩訶不思議なものを好み、それを潜在的に求めているとも言えるのかもしれない。

その疑似科学を語るときに良く引き合いに出されるのがライアルワトソンの「百匹の猿現象」だ。

正直に言うと、僕はライアルワトソンが好きだった。
一時期、「白い魔術師」「ロミオエラー」「ネオフィリア」などむさぼるように読んだ。
広範な視点からの既知の科学のボーダラインの事象、現象を拾い集め、
既知と固定観念の世界に風穴を開けようと試みる彼の姿勢は、文章の巧みさも相まって僕を魅了した。
何より彼の本を読むことで世の中には未知のフロンティアがたくさんあるのだという希望がわいた。

ライアルワトソンに悪意があったのかはわからない。
ただ論拠として提示した「百匹の猿現象」が事実ではなかったことは確かだ。

その点は非常に残念に思う。事実を歪曲したことに対してよりも、それが本当でなかったことに対して。

弁護するわけではないが、ただ彼の理念全部が誤りだったとは思えない。
ただのオカルト好き、空想家として片付けるのは極端だ。
固定観念を打ち破ることで新たなフロンティアを見出してきたのが今までの歴史だとすると、
創造的であるためには常識を疑うことからしか始まらないのは真実だと思う。

固定観念は殻であり、それを打ち破ることで新しい地平が見えてくる。
生のままの世界はそれに向かって自力で近づこうとする人間に対してだけ、その神秘を見せるものだ。

ライアルワトソンは「創作」をしたという意味で科学者ではなかった。
個人的にも真実めいたものと、真実の区別はきちんとしなくてはならないことは学んだ。

ただ彼を通じて私個人として学んだものはそれとして否定する必要はないと考えている。

2010年1月15日金曜日

歴史が語ること

歴史の勉強が僕にとって日常的に必須のものだった時期は、高校生の時までだ。大学に入ってからは”理系”ということもあってか、歴史を熱心に学ぶことはほとんど無くなった。せいぜい歴史に絡めた物語を読んで部分的に興味を持つ程度だった。

当時、歴史は僕にとっては一つの”情報”であり、それを知ることが自分の世界観や思想の形成にどう関連づけられるかということが、ほとんど見えていなかったと思う。暗記だけは得意で、100点取ったりもしていたが、自分の中での知識としては死んでいるも同然だった。

歴史が真に意味のある言葉として僕に語りかけてくるようになったのは、ごく最近のことだ。

人は”今”を無限に生きていくしかない。そのため、自分が考えたり実行したりすることの意味は、常に過去を振り返る形でしか認識ができない。つまり、”今”実行することが将来にどのような意味を与えることになるのかを、”今”把握することは不可能ということになる。

人は常にぶっつけ本番で考え、判断をし、実行していかなければならない。そこに人生の難しさがあると思う。

”今”の行動の指針になるのは、自分の過去の経験と他人の経験しかない。自分の経験は常に限定的であることを考えると、あとは他人の経験ということになる。それをひっくるめたのが歴史ということになるのではないか?

歴史といっても、単にポイントについての知識として捉えるだけでは、ほとんど役にたたないと思う。重要なのは過程・連続性であり、ある時、ある人物の行動がどういう経緯をたどって、どういう結果につながったかという流れをトータルでつかむことだ。その流れを真に理解することによって、その人物の経験を自分に取り入れることができる。

身近な歴史としては、人の話を聞くことで直接その人の経験を得ることができる。しかし、過去の人物の経験を得るためには、書籍を読むのが最も代表的な方法だ。過去の人物の経験の方が、年月を経て批評に晒されている分、ある程度普遍化されていると言える。

「歴史は繰り返す」という言葉はよく聞くが、非常に的を得た言葉だと思う。人間世界での現象を引き起こすのはやはり人間であり、人間の行動パターンというのは、それほど多くは無いように思える。

支配者と被支配者、富豪と貧民、知識人と愚民、経営者と被雇用者、攘夷派と開国派、右翼と左翼・・・

このような対立関係の中で、例えば支配者の力が強まれば被支配者の不満が高まる。富豪の力が強ければ貧民の不満が高まる。こうして、バランスが崩れる時には、革命などが幾度となく起こってきた。

現在の日本は、経済が困窮し、政治に対する不信感が高まり、国民の不満が高まっている。エネルギー・食料・国防・資源の大部分を海外に依存し、一方で少子高齢化の進行に伴ない、労働力の減少と医療負担の増加が見込まれている。

バランスが明らかに崩れてきている。それは、国内に留まらず国際的にも言えることだ。

世界人口の増加、食料・エネルギー需要の逼迫、パワーバランスの変化、経済システムの変化、情報化、・・・

このような変動の中で、日本では政治的にも経済的にも活路を”外”に見出す動きが強まっている。しかし、長期的な視野を持って望まないと、”日本”という国家そのものの質的な低下につながる危険性も高い。

今、謙虚な姿勢を持って、歴史に学ぶところは非常に多いのではないだろうか。

2010年1月5日火曜日

黒猫

どんな人生にも多少の転機はある。

ある日突然、その日を境に人生が変わる。
明日が今日の延長では無くなって、全く別の世界になる。

気がつくと別の世界に足を踏み入れていて、戻りたくとも戻れない。
そして多くの場合、きっかけは外側からやってくる。

僕の場合、それは一匹の黒猫の死だった。

その黒猫は公園に捨てられていた。
風邪を引いて背中を怪我していたので病院に連れて行くと、勝手に「クロ」という名前を付けられた。
「飼ってくれますよね?」との念押しとともに猫エイズであることを告げられた。

すぐに体調が悪くなるし、食べたものを直ぐにもどしたりと、何かと手のかかる子だった。
喉をやられていて鳴けなかったし、ザブトンみたいに太って動かない猫だったけど、
それでもいつも傍を離れない甘ったれで可愛い子だった。
サンテグジュペリの「星の王子様」にもあったが、愛情はどれだけ自分の時間と労力を相手に対して割いたかに比例するのかもしれない。
その時間と労力を通じて非現実な僕は生活というものを学んだのかもしれない。

その子が亡くなったのは2008年の日経平均が最安値を更新した日だ。
マネーという巨大な幻想がしぼむのと同期するかのように、クロは亡くなった。
それと同時に世界は急速に色あせ、浮世が地に落ちたような感覚で僕はこの世界を生きていた。

先のことは考えられなかった。
ただひたすら毎日を生き抜くことだけを考え、実際的なものの考え方をするように努力した。
小説は余り読まず、音楽もほとんど聴かず、家では実用書ばかり片っ端から読み漁っていた。

2009年は僕にとってある意味では最悪の年だった。
何かが崩れたかのように立て続けに多くの知人が亡くなった。
また新しく知り合った多くの人との関わりの中で、新しい期待を抱きもしたが、半分騙されたり、何とも居心地の悪い体験をさせられたりと、客観的に見てもろくな年ではなかったと思う。

ただ不思議だったのは2009年の大半を妙にフラットな感覚で通り過ぎたことだ。
空想や願望を極力排除し、今までで一番実際的な人に囲まれて生活していたにもかかわらず、世の中をガラス越しに眺めているような、まるで鼓膜にもう一枚膜がかかっているような不思議な沈黙の中で僕は生きていた。

多分、世のある種の、恐らく多数の"現実的"な人々は、見方によっては滑稽なくらい非現実的で共同幻想にどっぷり浸かった人達だからだろう。

そんなこんなで気がつくと2009年が終わりかけていた。

今から思えば僕にとってクロの死が象徴していたのは、あらゆる幻想の死だったように思う。

僕は心をミュートし現実的になることで、この期間をやり過ごしたのかもしれない。

最近になってようやくクロの死も人々の死も「もう良いんじゃないかな」と思える自分がいるのに気がついた。

失ったものは決して少なくないが、一年近くかけて現実というものがなんの気負いもなくそこにある感覚を手にいれたように思う。
同時に毎日やれることを継続してやる事だけが、ちっぽけな人間のできる唯一の抵抗なのかもしれないとも思う。

気負わず、惑わされず、目的を見失うことなく亀のように進むこと。

これがクロがくれた先の見えない世を生きる処方箋だ。

2009年12月31日木曜日

学んだこと

今年はすごく変化に富んだ年だった。
さまざまな人と出会い、そしてさまざまな人と別れた。

”外向きの”希望と共に今年は始まった。

2年以上もの間、人と離れた生活を送ってきた僕は、これまでとは違うベクトルに大きな戸惑いを抱きながらも、外の世界へと少しずつ、恐る恐る足を踏み出していった。足を踏み出すことによって確実に何かが変化するのを感じた。そして、外の世界に慣れていく自分を実感した。

そんな中、最初の別れは親しい人の死という形で唐突に訪れた。

その別れは非常に大きなショックを持たらしたが、同時に”内向き”の生活に終止符を打つ直接のきっかけとなった。その人は内なる世界を象徴している存在だった。

その後は、これまでにないくらい多くの人々と会うことになった。しかも、僕がこれまでにほとんど会ったことのないタイプの人々だった。僕はそのような出会いに非常に刺激を感じた。

しかし結果として、それらの出会いの中のほとんどの人は、もはや僕の世界からは遠ざかっていったと言ってもよいと思う。しかし、多くの出会いの中でもほんの一部だが、思わぬ方向性を示すものもあった。その本当にか細い糸を必死にたぐることによって、新たなる世界につながることがあるのだということを学んだ。

過ぎ去っていった様々な人々も、それぞれが様々な影を残していった。それは時には非常に悔しさを味あわせ、幻滅を引き起こし、怒りさえ感じさせるものだった。それらは、僕の中に眠っていた火を、本当に久しぶりに燃えたぎらせることになった。今年の終盤は心底危機感を感じたし、必死に頭をひねった。

何がやりたいのか?
どういう人間になりたいのか?
そのためには今何をすべきか?

人間が真に何かを学ぶことができるのは、心底危機感を感じた時だけなのではないか。そのようなことを書く小説家もいたが、今年は特にそう感じることが多かった。

僕も多くのことを危機感から学んだ。それらは3つに集約できる。

1.ものごとは時に非常に唐突に失われてしまうこと

2.学び、蓄積したものは、アウトプットを通じて本当に自分の力となること

3.いいわけの出来ない環境を自分で選択しなければならないこと

今年は今までよりもトラブルの多かった年だったと思う。でも、最後の日を迎えた今、気持ちの中には負の要素は全くない。危機感が消えたともまったく思えないが、それを力に変えられるということについて、ささやかな手応えもある。

世界にとっても個人にとっても、未来はまだまだ闇に包まれているが、自分で選択した道筋を一歩一歩進んでいくしかない。

試練はまだまだこれからだ。

2009年12月19日土曜日

かたち

人の原始的な「かたち」が、真っ白なタマゴのようなものだとすると、そこからまず背の高さ、体型などによって外面的な「かたち」に削られる。でも、この状態では「顔」がない。

本当にパーソナルな言葉を語るようになって初めて、人ははっきりとした「顔」を持つことになる。ここでいう「顔」とは、その人の特徴を表す比喩である。

自分の「顔」を持つということは、同時に自分の中のある可能性を捨てることにもつながる。「顔」を持たないのは実は自由なのだ。状況によってどのように振舞っても構わないというのは、なかなか魅力的だ。

しかし、その甘い汁を吸うのに慣れすぎてしまうと、人は徐々に「見えない人間」になってしまう。ちゃんと対価は払わなければならないのだ。

僕はこれまで、身近な人の前では人並み以上にはっきりとした顔を持っていたにも関わらず、世間一般に対しては顔を隠すようなことをしてきた。「のっぺらぼうの仮面」をつけたりはずしたりしていたようなものだ。

なぜ「のっぺらぼうの仮面」を重用することになったのか?

理由の一つとしては、はっきりとした「顔」ができるまでは、「本当の顔」を見せたくないという気持ちがあったのかもしれない。これは、ある種の完璧主義に由来する。

もう一つの理由としては、「顔のない」立場を望んでいた部分もあった。「顔」を持つことで、良くも悪くも外部に干渉される機会が増える。僕は特に20代の頃は外部に干渉されるのを極端に嫌っていた。

そうやって甘い汁をずいぶんと吸ってきたツケは、今になって払うことになった。

「おまえは誰だ?」

そう世界から問われる機会が増えてくる。ここで、徹底して

「私は何者でもない。放っておいてくれ!」

と答えてしまった場合、世界はそれを最終回答と受け取るかもしれない。

「何者でもない人間」、「見えない人間」としての人生を許可されることを心地良いと感じる人間は、自由気ままな余生を送ることができる。

でも、僕はやっぱりそうではない。

はっきりとした「かたち」を持ち、「顔」も隠さずに生きていきたい。

「おまえは誰だ」

という問いに答えられるようにならないといけない。

そのためには、自分の思いを自分の言葉で語り、その言葉に対して誠実に行動していく必要がある。そのとたんに、多くの人が批判を始め、あるものは去っていくかもしれない。でも、それは好きにさせれば良い。

自分の中の「調整弁」をはずせるかどうかは、ほんの一押しするかどうかにかかっている。

2009年12月15日火曜日

語ること、書くこと

自分について語ることは難しい。
こと公に向かって自分の意見を書くことは本当に難しい。
blogというメディア上でこんな事を書くのも何だが、
少なくとも僕にとっては本当にそうなのだから仕方がない。

自己主張と自己表現の違いが、僕には長い間分からなかった。
自己顕示欲むき出しで実力が伴わない人をたくさん見てきたし、
傍から客観的にそういう姿を見るのは決して気分が良いものではない。

それに不特定多数に対して語ることは、
なんだか実体のないものを相手にしているようで心許ない。

こんな風に書くと僕は極端に自信のない人みたいだけど、
気が合う相手とは一週間でもNonStopで話すべき事はある。
文章を書くことも全く苦ではない。
公の場でも公の立場で語ることは慣れているほうだと思う。
事の大小問わず自分なりに思うところがないではない。

ただ相手が不特定多数となるとだめだ。

それは何も「カラマーゾフの兄弟」だとか、
「資本論」について語ることが難しいという意味ではなく、
明日の天気や、今日食べたザル蕎麦についてだって、
不特定多数の人に読まれることを意識した途端、
言葉が僕の中から滑り落ちていく。

自分の言葉に対する責任の問題。
正確に伝わっているか、誤解がないか・・・等々。

そんなこんなで僕は自分について語ることを半ば辞めていた。
自意識過剰といえばそれまでなのかもしれない。

ただ今まで溜め込んで来たものを吐き出しても良い時期が来ているような気はする。

このblogは僕にとってはささやかな試みの第一歩だ。

2009年12月13日日曜日

このブログでの方針について

個人のブログは別に持っているので、このブログではRoygbivとテーマをなるべく関連させるようにして、相互作用の中からお互いが気づきを得られるようにすることを目的にします。

実験スタート

ひょんな事からOnion1976と一緒に共同でブログを開設することにした。
知り合いと共同でという方が案外長続きするかもしれないし。
相手がいることで刺激になったり、思わぬ発見があることも期待しつつ。。
まあ継続することを当面の目標として気長にやっていこう。

初投稿 - Michael Jackson

個人のブログとは別に、人とブログを共有してみることにした。

今日は唐突だが、Michael Jacksonについて多くの映像や説明に触れた。「This is it」を見るまでは、自分にとってMichael Jacksonは、ポップスターとしての存在以上のものではなかった。音楽については有名な曲は一通り知ってはいたものの、熱心に聴いたこともなかった。

亡くなってしまい、世間で騒がれるようになってから初めて強く興味を持つという、完全に遅ノリだが、彼の激しく、エモーショナルで、それでいて繊細なパフォーマンスを今見ていると、非常に多くの想いをかきたてられる。プロフェッショナルとはこういうものだという見本のような存在だ。

途方もない継続的な努力を積み重ねるとともに、そこから一歩”壁を越える”ことで、人間は”あちら側”に抜けていけるということを実感する。”あちら側”の世界では、おそらく時間のスピードも感覚も変化するのだろう。その”壁”に到達するかどうか、そして抜けるかどうかは自分にかかっている。

僕の場合は、とにかく思ったことを書いてみるという意識を持つことだ。そこから”あちら側”の領域にチャレンジし続けることこそが、今後の人生の意味であり目的であるともいえる。