どんな人生にも多少の転機はある。
ある日突然、その日を境に人生が変わる。
明日が今日の延長では無くなって、全く別の世界になる。
気がつくと別の世界に足を踏み入れていて、戻りたくとも戻れない。
そして多くの場合、きっかけは外側からやってくる。
僕の場合、それは一匹の黒猫の死だった。
その黒猫は公園に捨てられていた。
風邪を引いて背中を怪我していたので病院に連れて行くと、勝手に「クロ」という名前を付けられた。
「飼ってくれますよね?」との念押しとともに猫エイズであることを告げられた。
すぐに体調が悪くなるし、食べたものを直ぐにもどしたりと、何かと手のかかる子だった。
喉をやられていて鳴けなかったし、ザブトンみたいに太って動かない猫だったけど、
それでもいつも傍を離れない甘ったれで可愛い子だった。
サンテグジュペリの「星の王子様」にもあったが、愛情はどれだけ自分の時間と労力を相手に対して割いたかに比例するのかもしれない。
その時間と労力を通じて非現実な僕は生活というものを学んだのかもしれない。
その子が亡くなったのは2008年の日経平均が最安値を更新した日だ。
マネーという巨大な幻想がしぼむのと同期するかのように、クロは亡くなった。
それと同時に世界は急速に色あせ、浮世が地に落ちたような感覚で僕はこの世界を生きていた。
先のことは考えられなかった。
ただひたすら毎日を生き抜くことだけを考え、実際的なものの考え方をするように努力した。
小説は余り読まず、音楽もほとんど聴かず、家では実用書ばかり片っ端から読み漁っていた。
2009年は僕にとってある意味では最悪の年だった。
何かが崩れたかのように立て続けに多くの知人が亡くなった。
また新しく知り合った多くの人との関わりの中で、新しい期待を抱きもしたが、半分騙されたり、何とも居心地の悪い体験をさせられたりと、客観的に見てもろくな年ではなかったと思う。
ただ不思議だったのは2009年の大半を妙にフラットな感覚で通り過ぎたことだ。
空想や願望を極力排除し、今までで一番実際的な人に囲まれて生活していたにもかかわらず、世の中をガラス越しに眺めているような、まるで鼓膜にもう一枚膜がかかっているような不思議な沈黙の中で僕は生きていた。
多分、世のある種の、恐らく多数の"現実的"な人々は、見方によっては滑稽なくらい非現実的で共同幻想にどっぷり浸かった人達だからだろう。
そんなこんなで気がつくと2009年が終わりかけていた。
今から思えば僕にとってクロの死が象徴していたのは、あらゆる幻想の死だったように思う。
僕は心をミュートし現実的になることで、この期間をやり過ごしたのかもしれない。
最近になってようやくクロの死も人々の死も「もう良いんじゃないかな」と思える自分がいるのに気がついた。
失ったものは決して少なくないが、一年近くかけて現実というものがなんの気負いもなくそこにある感覚を手にいれたように思う。
同時に毎日やれることを継続してやる事だけが、ちっぽけな人間のできる唯一の抵抗なのかもしれないとも思う。
気負わず、惑わされず、目的を見失うことなく亀のように進むこと。
これがクロがくれた先の見えない世を生きる処方箋だ。
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15 年前
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