2010年1月20日水曜日

疑似科学とライアルワトソン

最近、疑似科学に対して警鐘を鳴らす書籍やWebサイトをよく見かける。
マイナスイオンや機能水、テレビのCMや番組を賑わせているトクホ(特定保健食品)など、
思いのほか疑似科学と分類されるものが身近にあることに驚く。

いつの時代にも巧みな口上で人を引きつけ、お金を儲ける商売というのはある。

疑似科学に警鐘を鳴らす一部の科学者の論調は、人魂プラズマ説を唱える大槻教授のようで感心できないが、
こと現代人は科学的に証明されたものとして語られることに弱いのは事実だろう。

天地創造から様々な現象の論拠が「神」から「科学」にほぼ移行した現代であっても、
人はある種の奇跡なり、摩訶不思議なものを好み、それを潜在的に求めているとも言えるのかもしれない。

その疑似科学を語るときに良く引き合いに出されるのがライアルワトソンの「百匹の猿現象」だ。

正直に言うと、僕はライアルワトソンが好きだった。
一時期、「白い魔術師」「ロミオエラー」「ネオフィリア」などむさぼるように読んだ。
広範な視点からの既知の科学のボーダラインの事象、現象を拾い集め、
既知と固定観念の世界に風穴を開けようと試みる彼の姿勢は、文章の巧みさも相まって僕を魅了した。
何より彼の本を読むことで世の中には未知のフロンティアがたくさんあるのだという希望がわいた。

ライアルワトソンに悪意があったのかはわからない。
ただ論拠として提示した「百匹の猿現象」が事実ではなかったことは確かだ。

その点は非常に残念に思う。事実を歪曲したことに対してよりも、それが本当でなかったことに対して。

弁護するわけではないが、ただ彼の理念全部が誤りだったとは思えない。
ただのオカルト好き、空想家として片付けるのは極端だ。
固定観念を打ち破ることで新たなフロンティアを見出してきたのが今までの歴史だとすると、
創造的であるためには常識を疑うことからしか始まらないのは真実だと思う。

固定観念は殻であり、それを打ち破ることで新しい地平が見えてくる。
生のままの世界はそれに向かって自力で近づこうとする人間に対してだけ、その神秘を見せるものだ。

ライアルワトソンは「創作」をしたという意味で科学者ではなかった。
個人的にも真実めいたものと、真実の区別はきちんとしなくてはならないことは学んだ。

ただ彼を通じて私個人として学んだものはそれとして否定する必要はないと考えている。

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